冬至を過ぎ、年末に向けて一層慌ただしくなる今日この頃。
皆様はどのようにお過ごしでしょうか。
明日はクリスマスイブ、明後日はクリスマスです。
文化庁が公開している『宗教年鑑』によると、
日本におけるキリスト教徒の割合は人口の約1%程のようですが
イベントとしてのクリスマスは、
おそらく殆どの方が経験していると思います。
さて、そんな日本のクリスマスですが
今回の記事ではその歴史の中のほんの一部、
ツリーについて、少しだけ掘り下げてみたいと思います。
初めて日本人が目にしたクリスマスツリー
時は1860年頃。江戸時代の末期です。
有名な出来事でいうと、桜田門外の変が起き、幕末動乱へ時代が動いていた頃です。
1854年以降、アメリカから始まり欧州各国との修好通商条約を締結し、
日本国内にそれまで無かった文化が沢山伝わり始めていました。
当時日本へ使節として訪れていた、プロイセン王国のオレインブルク伯爵という人物が、
公館に持ち込んだ大きなモミの木が、
日本で初めて飾られたクリスマスツリーだと
伝わっています。
当時の飾りは、日本で手に入る植物や果物で作られたといいます。
(一体どんな感じだったのでしょうね)
とはいえ当時の日本人にとって、
それは「信仰の行事」ではありませんでした。
異国の公館の中で、
見慣れない木が、見慣れない飾りを纏っている…
ただそれだけの、見慣れない”風景”だったのだと思います。
そもそも日本の天然林(自然に生えてくる森林)では、
広葉樹が8割とされています。
モミの木はそれだけで、当時の日本人には見慣れないものだったのではないかと
筆者は思いました。
日本人が初めて飾ったツリー
少し時代が進んで1886年。
元号は明治に代わり、19年。
その年の12月7日、
横浜の輸入食品店「明治屋」で、
日本人の手によって初めてクリスマスツリーが飾られました。
飾ったのは、創業者の磯野計(いその けい)氏。
目的は、
横浜港に寄港する外国人船員たちを迎えるためでした。
ここが「日本人らしいなぁ」と筆者が思った点なのですが、
やはりここでも、
クリスマスは”信仰”ではなく、心配りだったのでしょう。
イベント化は銀座から
1900年。
先に挙げた「明治屋」が銀座へ進出し、
大規模なクリスマス装飾を行ったことをきっかけに、
クリスマスは一気に”商業イベント”として広がっていきます。
そこからは大正、昭和と時代が進むにつれて、
雑誌や広告で取り上げられ、
少しずつ少しずつ
「特別な日」として、
日本の暮らしに溶け込んでいきました。
ちなみに、クリスマスケーキの”日本初”は
1910年(明治48年)に不二家が販売したフルーツケーキ
現在でも「ザ・クリスマスケーキ」という感じで思い浮かべるような
生クリームにイチゴの載ったデコレーションケーキを販売し始めたのも
同じく不二家。こちらは1922年(大正11年)が始まりだったそうです。
(筆者インターネット調べ)
日本のクリスマスは季節の風景へ
今では、11月下旬から12月上旬頃になると、
街にも家の中にも、
当たり前のようにツリーが現れます。
昭和末期生まれ・平成育ちの筆者の家庭でも
当たり前のようにツリーがあって、
幼少期には冬になると「ツリーはやく出そう!!」と
親にねだったのを憶えています。
キラキラしたオーナメント、
カラフルな電飾(筆者の家ではカラフルタイプの電飾でした)
「なんか非日常!!」
というワクワク感は、
今でも街中のクリスマス飾りを見ると感じるものです。
宗教的な意味合いは殆どなくても、
ツリーを飾ったり見かけたりすると
「今年も年末だな…」
と感じますよね。
日本ではクリスマスは、
信仰に関係なく、季節のしつらえとして根付いた文化なのだと
筆者は思います。
クリスマスにはツリーを飾り、
ケーキとチキンを食べ、
年を越したら初詣に出かける。
(筆者の子供の頃、我が家では
ケーキを食べる前に仏壇に供えるという過程もありました。
う~ん日本人!笑)
サンタも来るし七福神も来る。
筆者はそんな日本が大好きです。
家と季節と人の気配
ツリーを飾る。
リースをかける。
ポインセチアの鉢植えを買ってみたり、
少しだけ、家の中の風景を変える。
それだけで、
いつもの家が少しだけ特別な場所になる。
こういう「季節を家の中に招き入れる感覚」は、
昔の日本家屋ともとても相性がいいのではないでしょうか。
障子を張り替え、
床の間を整える。
しつらえで季節を感じる。
お正月には門松を飾ったりしますよね。
クリスマスツリーも、
そんな流れの中で、
日本の家に居場所を見つけたのかもしれません。
皆様の思い出のクリスマスは
どんな風景でしょうか。
今年は久しぶりに、ツリーを飾ってみるのも
よいかもしれません。
たねむら不動産
寺本










